武吉次朗 先生



 武吉塾は10年前、日本僑報社の会議室で誕生した。第4期から通信制(メール方式)に切り替えたところ、全国各地、ひいては中国や米国からも受講者が相次ぎ、10年間の累計は201人、延べ607人にのぼった。
 私は1963年、日本国際貿易促進協会事務局に入り、日本の訪中団と中国の訪日団に随行して通訳を務めるとともに、往復文書の中文和訳と日文中訳も日常業務の一環にしてきたが、当時は中国語の翻訳を教えてくれる教師も教材も皆無なので、頭をぶつけ冷や汗をかきながら自分なりに翻訳と通訳の体系化に努めた。1984年に東方書店から出版した『中国語翻訳通訳ハンドブック』が最初の成果であり、これが注目されて大阪の摂南大学に転職、週一回社会人に翻訳を教える中でさらに体系化を進め、定年後に日本僑報社から『日中・中日 翻訳必携』と題する一種の集大成を刊行できた。
 武吉塾の10年は、半世紀におよぶ私の翻訳史の中で、最も充実し、最も学ぶことが多い期間になった。課題文の選択、受講者から届く訳文の添削、講評の執筆、個別の質問への対応など、どれをとっても「真剣勝負」だった。
 まず、受講者の皆さんの熱心さに感服した。仕事に家事に多忙の中、10期以上も受講された方が11人もおられるし、毎期のスクーリングに関西や東北から出席される方も少なくない。次に、優れた訳文に感服し、思わず膝を打つこともしばしばあった。第三に、皆さんから寄せられる鋭い質問にタジタジとなったことも結構あった。私が考えつかなかったことにお答えするのは、正直言って内心忸怩たるものもあったけれども、勉強になった。第四に、皆さんが実に丹念に調べておられたこと。訳文の余白に補記される内容が、私にとり初めて知ることだった例も少なくない。
 そして最後に、毎回の講評は、何度も何度も書きなおし、書き加えるというシンドイ作業だったけれども、実に楽しい作業でもあり、達成感にひたる喜びを、毎回噛みしめられた。幸い、講評は「好評」を博したようで、安堵している。
 よく「教えることは学ぶこと」と言うが、武吉塾もまったく同様で、塾長の「役得」ならぬ「訳得」だつた。
 寄る年波には勝てず、私もこのところ体力の衰えを痛感するようになったので、張景子社長、段躍中編集長と相談の結果、10年を潮時に、東さん、町田さんという優秀な若手に後を託し、私は「顧問格」として助言していくことにした。皆さん、10年間のご支援ありがとうございました。これからも武吉塾をよろしくご支持ください。